
元首相の小泉純一郎さんを父親に持ち、弟は衆議院議員の小泉進次郎さんという俳優の小泉孝太郎さんについて、学歴をご紹介したいと思います。
政治家の父親を持ちながら俳優を目指した孝太郎さんはどんな学生時代を過ごしたのでしょうか。
また、次のようなことについても詳しくお伝えしていきます。
・所属事務所をイザワオフィスにした理由
・小泉孝太郎はどんな人なのか
・家族構成
・幼少期の人物像
それでは内容に入っていきましょう。
小泉孝太郎のプロフィール
本名 | 小泉孝太郎 |
生年月日 | 1978年7月10日 |
出身地 | 神奈川県横須賀市 |
身長 | 177cm |
血液型 | AB型 |
小泉孝太郎の経歴
2000年 オーディション「21世紀の石原裕次郎を捜せ」に応募したが落選。
「hide MUSEUM」でバイトしていた時に来館したYOSHIKIに芸能界入りを薦められる。
2001年 父・純一郎が首相となり芸能事務所から次々に声を掛けられ芸能界入りが決定する。
イザワオフィスという芸能事務所に所属。
15社以上からデビューとなるCMの出演依頼をもらう。
2002年 「初体験」というテレビドラマで俳優としてデビューする。
2011年 「カーネーション」というNHKの朝ドラに出演する。
2015年 「下町ロケット」という連ドラに出演する。
2021年 警視庁では初となる防犯広報大使を委嘱される。
小泉孝太郎の学歴-出身高校は?-
小泉孝太郎さんの出身高校は関東学院六浦高校で、偏差値は54くらいです。
孝太郎さんは野球部に所属していましたが、椎間板ヘルニアを患ったため途中で辞めざるを得ませんでした。
甲子園を目指すほど高校時代は野球漬けの毎日だったといいます。
とにかく野球が第一だったという孝太郎さんは、勉強は二の次で100点中50点で十分だと考えていたそうです。
しかし、大学進学の際は関東学院大学に内部進学するのではなく、さらに難関な日大進学という道を選択しました。
小泉孝太郎の学歴-出身大学は?-
小泉孝太郎さんの出身大学は日本大学の経済学部夜間部で、偏差値は45ほどです。
尚、経済学部夜間部は2009年に廃止された為、現在はありません。
また孝太郎さんは二浪の末に大学に進学したものの卒業はせず中退していますが、理由は芸能界に入るためでした。
実は芸能界入りするまでの孝太郎さんは、父である小泉純一郎さんに対しあまり良い感情を持っていなかったようです。
そして時には「横須賀の小泉」といえば途端に正体がばれてしまうのが嫌で、「違う小泉です」などと言ったことも。
しかし、俳優の道を志すにあたり、優しく背中を押してくれた父に対し感謝の気持ちも抱いたようです。
孝太郎さんがデビューする際は当時首相となった純一郎さんの話題性も後押しとなり、なんと15社からCMの出演依頼があったのだそうですよ。
当初、政治家になることも考えていた孝太郎さんでしたが、父の純一郎さんには反対されたのだそう。
自分の希望する道へ進むよう言われて、孝太郎さんは俳優になったのです。
実際に俳優になってみると苦労の連続だったようですが、いかりや長介さんに師事し徐々に周りから認められるようになっていったといいます。
小泉孝太郎の学歴-出身中学は?-
小泉孝太郎さんの出身中学校は関東学院六浦中学校(偏差値51)で、関東学院大学の系列校になります。
部活動は中学から引き続き野球部で、毎日野球に打ち込んでいました。
孝太郎さんの弟には進次郎さんがいますが、2人の絆は中学時代に強まったのだそう。
父の純一郎さんの仕事が忙しかったため、何かあった場合は兄弟同士で相談するよう言われていたからです。
その絆の強さは周りから「異常」と冷やかされるほどだったそうですよ。
小泉孝太郎の学歴-出身小学校は?-
小泉孝太郎さんの出身小学校は関東学院六浦小学校です。
孝太郎さんが野球を始めたのもこの頃で、少年野球チームではピッチャーを務めていたそうです。
また、同じチームにいた進次郎さんとはよく兄弟で喧嘩をし、コーチになだめられていたのだとか。
父親の純一郎さんは時々キャッチボールをしてくれることもありましたが、子育てに関してはかなり厳しく、お年玉は500円だけと決められていたのだそうです。
また、この頃、毎年正月はスキーに行っていたため、実家では正月を過ごしたことがなかったとのこと。
俳優という職業を夢見たのもこの頃で、きっかけは「E.T.」という映画を見に行ったことだったそうです。
小泉孝太郎はなぜイザワオフィスに?
小泉孝太郎さんが所属している事務所はイザワオフィスです。
芸能事務所の中でも「怖い」と言われているようですが、実際のところは和気あいあいとして居心地の良い事務所なのだそう。
孝太郎さんがなぜイザワオフィスを選んだのかというと、この事務所に所属するいかりや長介さんの影響が大きいと言われています。
イザワオフィスには当初ザ・ドリフターズが全員所属していましたが、いかりやさんは孝太郎さんが芸能界に入った頃からの大先輩でした。
車での移動中も2人はずっと一緒だったということで、50歳以上もの年齢差を感じさせないような仲の良さだったようです。
小泉孝太郎ってどんな人なの?家族構成や幼少期の人物像
小泉孝太郎さんの家族は、
・父親の純一郎さん
・弟の進次郎さん
の3人家族です。
幼い頃に両親が離婚し、孝太郎さんと進次郎さんは父親の純一郎さんに引き取られました。
また、孝太郎さんと進次郎さんの育ての親と言われているのが、父親である純一郎さんの姉の道子さんです。
道子さんのことを母親だと思っていた2人は道子さんのことを「ママ」と呼んでいましたが、孝太郎さんが高2の頃に事実を告げられたのだとか。
孝太郎さんの幼少期の人物像は、両親の離婚に大きな影響を受けています。
母親がいなくなったことにより、残された幼い兄弟は手を取り合って生きていかなければならなかったからです。
弟の進次郎さんは兄の孝太郎さんのことを「おにい」と呼んでいつも後をついていくほどでしたが、孝太郎さんは煩わしいと感じることもあったといいます。
小学生の頃は喧嘩をすることが多くなりましたが、中学生になると落ち着き始め、何かあった時は2人で話し合うようにと父から言われていた兄弟の絆はどんどん強くなっていきました。
進次郎さんは孝太郎さんに「守られている」という安心感があったと語っており、孝太郎さんは進次郎さんにとって頼もしくて優しいお兄さんだったことがわかりますね。
まとめ
両親は離婚してしまいましたが、父親の純一郎さんや「ママ」と呼んでいた道子さんの大きな愛情に包まれて育ち、自らが希望する道へと進んだ小泉孝太郎さん。
これからも家族の絆を大切にしつつ、俳優としてもさらに活躍されることを期待しています。