【判明】広末涼子【学歴&経歴】出身大学高校&中学&小学校と偏差値|早稲田退学の歴史も

14歳でデビューして以来ずっと駆け抜けて、40代になった今もなお輝き続ける広末涼子さん。

有名大学に入学を果たしたものの、トップアイドルには過酷な状況だったようです。

離婚原因や再婚についてもまとめました。

広末涼子のプロフィール 

本名廣末 涼子(ひろすえ りょうこ)
生年月日1980年7月18日
出身地高知県高知市
身長161cm
血液型O型

https://www.instagram.com/p/CkIeNLMvLEy/

広末涼子の経歴

1994年 第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」グランプリ

1995年 「クレアラシル」CMデビュー

1996年 東京の高校に入学

1996年 NTTドコモのCMで大ブレイク

1997年 「MajiでKoiする5秒前」歌手デビュー

1997年 「20世紀ノスタルジア」映画デビュー

1997年 「NHK紅白歌合戦」初出場

1999年 早稲田大学入学

2001年 リュック・ベッソン製作映画「WASABI」主演

2003年 早稲田大学退学

2003年 岡沢高宏さんとの結婚発表

2008年 離婚発表

2010年 キャンドルジュンさんと再婚

広末涼子さんはデビュー直後から爆発的な人気に加え、早稲田大学の入学で社会現象を巻き起こし、デート現場はリークされ、奇行なども取り沙汰されてしまうほど、世間から注目の的となりました。

そうした中でも、女優業では数多くの話題作に出演。

現在は、高校生と小学生の3人の子どもを持つ母親。

夫婦ともに教育熱心で、広末さんは時間の許す限り習い事の送り迎えをし、PTA役員まで務めていると報じられています。

「私の今があるのは、間違いなく子どもたちの存在のおかげだと思っています」と話しています。

https://twitter.com/oricon/status/1522480782337802241

以前は過熱報道に対しても弁明することはなく、プライベートは語らないスタンスだったようですが、最近は主婦や母親として話す場面が増えてきました。

過去に触れることもあり、これまで語られなかった苦労を告白しています。

特に2006、2007年は、人生で最悪だったとか。

広末涼子の学歴-出身高校は?-

東京の品川女子学院高等部に入学。

実家の高知から上京し、横浜にある叔母の家から学校に通っていました。

1996年高校1年生のときに出演した、NTTドコモのCMでいきなりの大ブレイク。

「広末涼子、ポケベル始める」

このフレーズで、一気に名前と顔が知られるようになりました。

そこから瞬く間に認知度が上がり、活躍の場も広がっていきます。

同年に、2冊同時発売された写真集はベストセラー。

翌年1997年、「MajiでKoiする5秒前」で歌手デビューし、売上60万枚の大ヒットを記録。

このシングルの発売からわずか2ヶ月後には、セカンドシングル「大スキ!」をリリースし、オリコン1位を獲得しました。

めまぐるしい当時の様子を、休む時間もなく「ずっと眠かった」と明かしています。

「激しいですよ、学校が終わってそのままスタジオに行って、下手したら朝まで撮影して、またすぐ学校で、もう怒涛の日々ですよね。」

引用元:https://news.yahoo.co.jp/feature/1456/

その年の年末、NHK紅白歌合戦にも初出場。

フジテレビ系の人気ドラマへの出演も急増し、「ヒロスエブーム」を巻き起こしました。

高校・大学時代は、常に台本を3、4冊持ち歩いていたといいます。

通学時も大勢のファンに囲まれるため、いつも同級生が守ってくれていたと明かしています。

学校にも人が押し寄せるほどだったとか。

「すごかったですね…SPの方と一緒に動いてました」

引用元:https://www.crank-in.net/news/103322/1

勉強は、従兄の東大生に家庭教師をしてもらっていました。

怒涛のような高校生活だったことがわかりますね。

その状況で早稲田大学に入学を果たしたことが、さらに世間を騒がせます。

広末涼子の学歴-出身大学は?-

1999年、早稲田大学の教育学部国語国文科に入学。

人気絶頂のアイドルの受験は大注目され、志願者が激増するという社会現象となりました。

合格が発表されると、各テレビ局は一斉に報道。

多くの祝福する声がある一方で、一般入試ではなく自己推薦入試での入学に対し、大学側が特別扱いしたのではなどのバッシング報道も。

入学後も広末さんは多忙で入学式を欠席し、初登校は3ヶ月遅れの6月になったことでも、非難の的となりました。

登校当日は3,000人を超えるほどのファンや報道陣が詰めかけ、大勢に取り囲まれる様子が報じられました。

広末さんの周りに学生が集まり、触られたり、引っ張られたり、お尻を触られたと話しています。

「もう『フザケんな!』って感じでした」

引用元:https://bunshun.jp/articles/-/39074?page=2

大学生活は想像以上に大変だったようです。

「トイレも行けないから、すぐ近くのリーガロイヤルホテルのトイレに行ってました」

引用元:https://news.livedoor.com/article/detail/21941172/

他人との距離も保てない状況だったとは、想像するだけでも息苦しくなりますね。

在籍中の2001年には奇行と報じられ、「タクシー無賃乗車」「撮影現場に遅刻」、映画制作発表で突然号泣などと、報道合戦のような過熱ぶり。

「清純なイメージが崩壊」ともいわれ、苦悩していた当時をこう振り返っています。

「大学入学後、想像以上に周りの反響が大きく、色々な声も聞こえてきた。イメージとのギャップをどう埋めていこうかと悩んで初めて壁に当たりました」

引用元:https://dot.asahi.com/dot/2020031700023.html?page=3

結局超多忙だった広末さんは、大学にはほとんど出席も出来ないまま、2003年に退学しています。

https://twitter.com/eriashinagao/status/1335901291525021696

広末涼子の学歴-出身中学は?-

高知県高知市城北中学校。

陸上部に所属し、走り高跳びとハードルの選手でした。

入部を決めたのは、顧問の先生に「君のラジオ体操に惚れた」と誘われたのがきっかけ。

両競技で県大会2位、走り高跳びでは四国大会2位になるほどの実力。

校内マラソン大会でも3年連続1位だったとか。

運動神経抜群、勉強もできて成績はクラスで一番で、人気者だったといいます。

中学2年生のときに、雑誌でみつけた「クレアラシル」のオーディションに応募。

2,589名の中からグランプリを獲得し、CMデビューしています。

中学時代はCMや雑誌の仕事が中心で、週末のみ高知から東京に通う生活でした。

1年生のときの作文に、自身の将来について記しています。

「15歳で輝くモデルデビュー。18歳で芸能界に入って女優になる」

引用元:https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220411-OYT1T50132/

「『女優さんになる』という思いには不安も疑いもなかったです。」

引用元:https://deview.co.jp/Interview?am_interview_id=1136&am_view_page=1

夢に向かって、目標を達成していくスピードにも驚きです。

広末涼子の学歴-出身小学校は?-

高知市立追手前小学校。

家族は両親と妹の4人。

バスケットボールのクラブに所属していました。

幼い頃からテレビっ子で、保育園のときから将来の夢は女優。

小学校の卒業文集にも、「トップ女優になる」と書いたそう。

広末涼子と結婚したのは誰?

2003年12月に、モデルでファッションデザイナーの岡沢高宏さんとの結婚・妊娠を発表。

翌年に長男を出産しています。

大学を退学した直後だったこともあり世間からの反応は厳しく、「できちゃった婚」と大きく報じられました。

デビュー以来、休む間もなくずっと走り続けてきた広末さんは、当時精神的にギリギリの状態だったと、後に明かしています。

「仕事を辞めたくて仕方なかったです。」

「出来ちゃった結婚だと言われたけど、そうじゃないと結婚なんて出来ない状況だった。」

引用元:https://gendai.media/articles/-/61642?imp=0

広末さんはあのときに休業していなければ、「壊れていたと思う」とも漏らしています。

そして出産・育児のために2年間仕事から離れることで余裕が生まれ、女優業が好きなのだと再認識できたそう。

「家のことが楽しかったんです。当たり前の生活が最高に楽しくて。」

「普通のことが全く出来ない10代だったので」

引用元:https://gendai.media/articles/-/61642?page=2

2005年にドラマ「スローダンス」出演で復帰。

しかし2008年3月に、岡沢高宏さんとの離婚を発表。

「歩幅を合わせるのが難しくなった」とコメントしていました。

離婚はなんとか回避したかったが、難しかったようです。

「何度も立て直そうとしたし、すべてやってみての結論だった」

「でも最終的に一番大きかったのは、私が笑ってないと息子が笑えない。だからこそ息子と二人で生きて行こうって思ったことです」

引用元:https://gendai.media/articles/-/61642?page=5

シングルマザーになると決断したときは、ボロボロだったと告白しています。

そんな状況でありながらも、女優業では見事に復活を果たしています。

2008年公開映画「おくりびと」で、2つの賞を受賞。

「ヨコハマ映画祭」助演女優賞受賞

「日本アカデミー賞」優秀主演女優賞受賞

そして2010年に、キャンドルアーティストのキャンドルジュンさんと再婚を発表。

翌年には第2子の次男、2015年には第3子の長女を出産しています。

広末さんは夫キャンドルジュンさんのことを、エッセイに記しています。

「私のたったひとりの最高のパートナーは、私が“強くて弱い”ことを知っている」

引用元:https://dot.asahi.com/dot/2022061000007.html?page=2

広末さんの誕生日に送られた長男からのメッセージでも、家庭内の温かさが伝わってきます。

「俺は18年間育ててもらって、母として一人の人間として、尊敬してる。」

引用元:https://storyweb.jp/lifestyle/240345/

結婚、出産・育児、離婚、再婚と、大変な経験を重ねながらも、トップ女優であり続けるのがすごいですね。

広末涼子なぜ早稲田退学したの?

退学理由は、「女優業に専念したい」とのことでした。

ただここ数年、メディアで当時の状況や心境を告白している内容から、忙しさのあまりかなり精神的に追い込まれていたことが伺えます。

広末さんは大学在学中に、2001年公開映画「WASABI」で主演。

フランスの有名俳優、ジャン・レノと共演しています。

当時海外で仕事をして見えてきた日本の芸能界のあり方に、矛盾を感じるようになり、引退を考えていたと明かしています。

しかし人気絶頂の最中、仕事は辞めたくても辞められない状況。

誰にも迷惑をかけず、傷つけることなく辞めるにはどうすればいいかと考え、激太りを決行。

ジャンクフードなどを食べまくり、体重を15キロも増やしたとか。

「立ち止まる時間が欲しかった」といいます。

まとめ

自然体で、いくつになっても新鮮さを感じさせる広末涼子さん。

仕事と育児、そして自分とのバランスの取り方も、参考にしたいと考える女性も多いでしょう。

今後も注目していきたいです。

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